情熱なら、誰にも負けない。
長野市の小学校サッカークラブで、セレクションに落とされたのは、小学3年生の時でした。
それは、増えすぎてしまった部員に対して、人数を抑えるために学校の先生が行ったセレクションでした。
サッカーが上手でなかった私は、そんなもんか、、と、
諦めていました。
それでもサッカーが好きだったので、5年生になって人数の少なくなった小学校のサッカークラブに入り、楽しくサッカーをしていました。
そしてたくさんの努力をしていました。
中学になってもサッカーを続け、高校の進路を決める頃にはプロのサッカー選手になる、という夢を持っていた私は、たくさんの資料を自分で集めました。
父親が海外でも活躍していた影響を受けブラジルに渡るか、日本でもっともサッカーが盛んな静岡の高校に入学するかで迷い、最終的に静岡の高校に行くことを自分で決めました。
そこは100名もの部員がいる名門サッカー部。
寮生活をしながら、がむしゃらにがんばった私は、練習量では間違いなくチーム1番でした。
でも、1〜2番目にヘタだった、、、
誰よりも、努力すれば“うまくなる”はずと、努力の仕方も、ライバルを追い越す方法も知らないまま、
何時間も何時間も毎日、“ただ”努力を続けていました。
高校最後のインターハイ25人のメンバーになんとか入ったものの、結局試合には出られませんでした。
その後、大学、社会人とサッカーを続けましたが、子供の頃に見た夢を叶えることはできませんした。
そして現役を終えた時に気付きます。
「プロになるには、小さい頃から、正しい指導を受けて、正しい努力のしかたを教わる必要がある」と。
「間違った努力を続けても、心も体も傷つけるだけだ」
恵まれた環境で生まれ育ったライバルを見て、長野県に生まれたことを後悔したこともあります。
19才の時サッカークラブのコーチを任された事を思い返し、
もう一度三重県に戻り、2011年全日本少年サッカー大会にも出場したチームで、コーチとして経験を積ませていただきました。
その後、スペインに指導者として渡り、この経験が後に誰にも負けない情熱と指導方針の基礎を創り上げました。
その後、長野に戻り、
「長野から世界へ」を合い言葉に、
「長野でサッカーをしていてよかった」と思える環境をつくるため2013年長野市でNOZAWANA FCを立ち上げました。
本気で向き合う大人がいなければ、子供たちの夢は叶えられません。
今まで15年間で1,300名以上の選手を指導してきた経験と子ども達は私の宝です。
NOZAWANA FCはこれからも、サッカーで夢を実現する“長野県で一番のクラブ”を目指し、サッカープレイヤーとしても、人としても成長する環境を作り続けます。
私たちと一緒に、夢を目指す方が増えて下さると、とても嬉しいです。
NOZAWANA FC 代表
勝山